あなたは神を信じますか?

 私は神を信じません。別に、人が信じるのは自由だと思ってます。ただ、僕は神を信じない、というより、神を信じる根拠が不足している。たいていの場合、神とは、人間が作り出した幻なのだから。僕は、実在しない理想よりも、現実の中に何かを見つけたい。つまり、信じられる神より、信じられる人を見つけたいのだ。まさに「友は何よりの宝」である。(注、この場合、恋人や、結婚相手も、人生の友として含める。)

 現代では、物質的にはさほど困ってないから、神など無くても、人を信じることさえできれば生きて行けるのだ。ただ、信じられる人間を見つけるのが苦労なのだ。幸い、僕の場合は、小、中学校のときに見つかったのだけど(その時は、こういうことは意識していない)、皆さんはどうなんでしょうか?多分、親友なんて、「類は友を呼ぶ」で集まってそのまま続いてるって場合が、ほとんどとちゃうかな。(僕の場合はそうだ。)だから、信じれる人を探すには、まず自分が信用できる人間になること。そして、人を信じようとすること。(ただし、世の中には、お人好しにつけこむ奴がいるから要注意!) それと、100%な人間像を相手に求めないこと。100%な人間なんかいないのだから、第一、僕は自分を100%信じられないし、人から100%の信頼などえられようはずもないのに、それを人に求めるのは筋違いだと思っている。

 けど、世の中には、(自分は完璧にほど遠いのに)相手に100%(完璧)を求めて、それが満たされなければ人に当たり散らす愚か者がいるのだ。(子どもに期待し過ぎる親がいい例だ。)人に何かを与えても、求めても、完璧には返ってこない。自分が人の好意、欲求に完璧に答えられないのだからそれはしかたないのだ。でも必ず、何らかの形で返ってくるのだ。

 だから、人の好意は、素直に受けて、人にも優しくしよう。で、悪意には、悪意 を1.5倍〜2倍ぐらいにして返してあげよう。そうしてれば、きっといい人(信用できる人)が見つかるでしょう。どうしても神を求める人は、こういう人を神(現人神)とすればいいんちゃう。ま、何にしろ、人を信じること(注、信用できそうな人だけね)、そして、自分が信用される人間になること。これさえ守れば、まともに生きれるんとちゃうかな。くれぐれも、真面目に生きような。

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